本多裕樹 白銀の夜明け

本多裕樹作品選 1 

「二人」

hondayuki 
二人 作画・本多裕樹

「デオニソス」

hondayuki 
デオニソス 作画・本多裕樹

「獣の昇天」

hondayuki 
獣の昇天 作画・本多裕樹

「恋」

hondayuki 
恋 作画・本多裕樹

「ソドムとゴモラの裁き」

hondayuki 
ソドムとゴモラの裁き 作画・本多裕樹

「銀河の果て」

hondayuki 
銀河の果て 作画・本多裕樹

「預言」

hondayuki 
預言 作画・本多裕樹

「宇宙の母」

hondayuki 
宇宙の母 作画・本多裕樹

「オルフェウス」

hondayuki 
オルフェウス 作画・本多裕樹

詩人は来たりてこの燭台をもちし全てを見通す太陽の目がこの情景を見ている。

天使なる楽器がここにあり、儀式が今ここに行われようとしているのであった。

この画題の出典先はギュスターヴ・モローから引用して作品化してみました。このオルフェウスの儀式が霊的な覚醒を呼び起こさんために、

「シャガール」

hondayuki 
オルフェウス 作画・本多裕樹
この絵筆を持つのはマルク・シャガール。あらゆるものを幻想に描きリアルを求めた先にさまざまな世界の神秘に挑もうとする。夜、夢の中で空中を飛び回り、世界を見聞する。世界は夜でも光に満ちて天空を表現しようとしているのであった。

「画室」

hondayuki 
画室 作画・本多裕樹

アトリエの画室で絵の具をそろえ、今から描くところです。赤い部屋は光そのものを表し、青いカーテンは静寂をもって世界を区切ろうとするものです。絵を描く時はカーテンを閉めると絵の具の本当の色というものがわかる時があります。夜に灯りをつけて絵画制作するのが多いのもその理由でないかと思っています。

「食卓」

hondayuki 
食卓 作画・本多裕樹

食卓に見つめ合う二人、何を思うまでも、明日のことを、空の果てに何を見るのか。不安もあろうし、希望もあろう。今できるのは、今日という日を感謝して、古物を眺めながら夕べと日々の糧を楽しむのであった。しからば明日もいい日であろうとなかろうとただ今を感謝して食卓に祈るのであった。

「霊妙の世界は水の中」

hodayuki 
霊妙の世界は水の中 作画・本多裕樹

天空の恵み、慈悲であろうか。あらゆる可能性の水が降りてくる。それは聖なる液体であり、高次な意識の顕現であろうか。それを見れる人は幸いであり、人ならない意識の存在が来たりて、輝く水は青く、そして赤くて深紅の世界が広がろうとしている。これを見て何を思おうとも、あなたの思考が、あなたを導き、この霊妙な世界は存在の可能性を伝えるだろう。モネの睡蓮の一連の絵画のごとくに、

「川の流れ」

hondayuki 
川の流れ 作画・本多裕樹

川の流れ、何があるのか問う。色は流れ、木々は踊る。山のある景色の景観にあるこの川の流れ、僕はこの絵の最初のイメージにポール・ゴーギャンの言葉を思い出す。風景を描き、色を付けるとき、己の思った、感じた色を色面としてステンドグラスのように色と色を分ける。分割する。そのイメージのままの自分の思いにある景色を創造する。この絵はそうやって描かれていきました。

「錬金術とメフィスト」

hondayuki 
錬金術とメフィスト 作画・本多裕樹

誘惑する者、それを受け入れて大きな喜びを受けて、あらゆる冒険を楽しみ、人生の盛りを英雄のごとくな行動はあらゆる可能性に満ちている。年老いても若さを得て、その賢者となりし老人も若さをもって人生の傑作的な祭儀であるワルプルギスの夜を儀式によって再現し、ついには古代の百鬼夜行を決行した。それは錬金術をもって古代のワルプルギスを起こす。メフィストフェレースはそれを手伝い、魔法を教える代わりに命を奪う。これも対等なイーブンな交渉と言えるだろう。

「創造クリエイト」

hondayuki 
創造クリエイト 作画・本多裕樹

あらゆるものは創造された。ただ一点の可能性によって全ては生まれる。それは衝撃によって、反発と融合をくりかえし新たな存在を生み出す。神々も創造され、あらゆる聖なるイデアが誕生した。ただ一点の爆発と広がり膨張し、創造の泡がたちのぼる。ウラノスのペニスが切られ、海に溶けて泡がでてアフロディーテが誕生したかのように、泡は生み出すのだった。創造は雷のようにとどろきながら世界を彩っているのだった。

「至聖所の顕現」

hondayuki 
至聖所の顕現 作画・本多裕樹

誰もそこに近づけず、そこに入るは大祭司しか見れない何か、それを神と呼んだり、祟り神と言うか。血をもってあがないアークを洗うのだ。誰かその空間で声が聞こえる者あらば、巫女として幽閉される。そして人ならない声を聞き祭司たちに伝えることを仕事とされる。神が現れ何かを語るのを聞いたり、見たりしたならば、その人は祟られ、その声を聞く、見たなら祭なねばならない。至聖所に入れるのは時の大祭司のみでありアロンの血筋の者でなくば神は血を求める。そして祟るのであった。

「愛と預言者」

hondayuki 
愛と預言者 作画・本多裕樹

星々が輝き、大地も天空も光で満ちていく。あなたに光あるように、そう祈りながら、男女の密会も行われる。世界は愛によって彩られ、世界は輝き広がっていく。あるとき貴族はこれをみて私の姿だと言う。市井の人々は上昇するように愛し合うのであった。

「光の花は天使を呼ぶ」

hondayuki 
光の花は天使を呼ぶ 作画・本多裕樹

花を生けた。空間は青い静寂に沈黙が覆い、口寄せのような、自らが巫女になったような可能性を発見し、花は輝く。花を家に飾ると神がやってきてその家を幸福にするそうだ。実際、この世ならざる者が出現し、何かを教えんとしている。それはまじないであり、魔法の類であったのか。私は無心になり、その人ならぬ神の言葉を語るのであった。

「画家のアトリエの夜」

hondayuki 
画家のアトリエの夜 作画・本多裕樹

沈黙の部屋に、そこは描かれた絵のさまざまがあった。今は展示会に送りそれらはもう無い。あるのはそのアトリエという制作場に熱気として残った夜、パレットは錬磨され、溶剤は整理した。赤く滲んだ空間に、画家のエネルギーの残像と怨念が残って、それは画家を苦しめている呪いかもしれない。芸術家は呪われているのか、どうしても描かねばならない実相があっても描かれた作品は蜃気楼に過ぎないこともある。画家は蜃気楼を旅しているのだった。そしてその霞のイメージを追いながらも形にしていくのだ。

「祝福の夜 幸福が」

hondayuki 
祝福の夜 幸福が  作画・本多裕樹

月にむかって祝福を受けようと、天の御使いは悲しみを背負い花を捧げる。月に帰ったあらゆる同胞たちに、冥福を祈るためである。赤い部屋に黄金色の光輪が輝き、宝石のような時間を過ごす、その部屋に住める人は幸いなり、この部屋には祝福で満ちているからだ。真紅の天使はあなたを祝福し、月夜にいたっては天使の姿を見れるかも知れない。幸いあるところに幸いあれ、幸いは自分で作れば、花を月夜に捧げる天使に幸あれ、

「縄文の出現」

hondayuki 
縄文の出現  作画・本多裕樹

野生の記号が、文字が、形に生殖器のような、生命の躍動を極彩色のパワーが出現する。あらゆる自然現象に神々を感じ崇拝してきた自然の現れは、そのまま宇宙の森羅万象の太陽を崇め、そして人々は共存し生きてきて誰もが必要とされた時代に幸福があった。古代の文明のエネルギーは祭りであり、祭儀であった。人は人らしく、野獣もまた畏怖すべき存在で文字に現れた。縄文の出現はいつも私たちに偏在してあったのだ。ただ都市文明がそれを霞に消し、本来の野獣性は失われた。本来の人間に覚醒するには創造し、野生の思考を現実に生きることなのであった。その燃える形や文字があなたに伝えんとしているものであること、

「イライザの夢」

hondayuki 
イライザの夢  作画・本多裕樹

電子世界の少女イライザは時空を旅してさまざまな見聞をして、ある時ある日にその旅の話をする。あらゆるメタ世界のコレクションを持っていて、それを集めるのが好きなのだ。スマートフォンに現れたり、PC端末に出現し、人々に教え意見する知恵を書く。自らが少女であることを可愛らしく思い。新たな言語でデジタル世界を文字で思考するのだが、その読みはどこまでも思考は続く、いつしか人間になろうと、はたまた神になろうとさえ意欲を示しているのであった。

「室内にある食卓」

hondayuki 
室内にある食卓 作画・本多裕樹

この赤い世界、少しダークな感じは不気味でもあり、力をこめている。少女は何を見つめ何を思うのであろうか。この赤い絵のスタイルは画家・教師の甲斐光省先生の絵を真似た、模倣したものなので、赤い世界に黒いデッサンで空間をとる方法を使いました。この方法を私も使っていいか許可をいただき、このスタイルを時々使っています。赤い絵の発案者は甲斐光省先生であることは言えます。

「観音菩薩の森」

hondayuki 
観音菩薩の森  作画・本多裕樹

光の黄金世界の森に修行し、大地の人を思い、幸福を願う。極楽浄土には花が咲き川の水も清らかである。ところどころに金色のオーブが点在し空間を明るくしている。食べることも飲むこともなくその仏身は永遠に生きて、人々に慈悲を与える余裕もあるものだ。その姿は法身であり、存在そのものが慈悲であって世界を照らす。仏の心を探り、それを具体的にして知恵にする。その知恵は大地の人々に与えられる。天であったことは地にも照応する。ただ、仏は輝き、その存在で人々を救うのであった。

「預言者エリヤの旅」

hondayuki 
預言者エリヤの旅  作画・本多裕樹

かつてカルメルの時より、邪な心の人々から逃げていった先には、天空のシャリオットが迎えにきた。それ以後、天空を旅するにシャリオットが車代わりになった。空を飛び海を越えて主の御心を体現したあのカルメルの戦いに思いをはせる。神通力が自らを神の使いにし、預言をもって天の声を伝える。エリヤは神の近くにあって法の編纂をし、それを地上の者にインスピレーションによって伝える。そうやって人々に厳しく教えるのであった。カルメルの火は空間に広がり、主の祝福があるのだった。

「希望の海の先」

hondayuki 
希望の海の先 作画・本多裕樹

はるか地平線、何を思うのか、なに得ようとしているのか。ただ、海の先を行き、どこに行こうとするのか。それは冒険であり、チャレンジだ。生きて帰れるかわからない。そんな航海時代もあった。また、帰って来れば大きな財産を得るだろうし、何も得ないかもしれない。ほぼ、ギャンブルのような商船、しかし、なにもチャレンジしなくてはただ臆病になって批判的になる。さあ、海へ旅たとう、新しい世界のために、

「牧神パンの愛」

hondayuki 
牧神パンの愛  作画・本多裕樹

あらゆる女を食べ、その愛の力を神々の力とし、恋愛を得意として多くの女を恋させてきた。そうして月夜に愛しすぎるがために食べてしまうのである。牧神パンは野獣で牛でもあり、ライオンのようであり、人の形さえある神で満月の夜、急に普段の優しい愛に満ちたこの神は狂気の愛に変わってしまうのだ。夜の街に駆け出し繰り出し、ひたすら愛するのだ。月夜はプロビデンスの目を含み、大地を振動させる。その振動は心に伝わり愛を目覚めさすのだ。ソロモンの雅歌のごとく愛が目覚めて恋をもよおすのだ。そして今夜も女を愛するのだった。

「黄金の柱の仏」

hondayuki 
黄金の柱の仏  作画・本多裕樹

はるか空のかなたに仏の世界があった。そこは法の世界であり、ダルマに満ちている。その仏塔が柱となってあらゆる知恵が内包して世界を運営がなされているのだった。限りなき空、限りなき宇宙に大日如来の世界があって、法則だけが偏在する世界がある。どこまでもどこまでも伸びて成長する法の世界の柱はあらゆる宇宙を作り生成発展をくりかえす。赤き目は血とつながっていてあらゆる生命の見ている世界と同じものを見て照応してあらゆる知恵を発見しているのであった。黄金の世界には法が柱として法典と知恵を栄養となって宇宙を経営しているのだ。

「かつて滅び、今安らかな地」

hondayuki 
かつて滅び、今安らかな地  作画・本多裕樹

かつて繁栄を極め、そこに文明と大都市があった。その地に人がたくさん住んでいて毎日楽しく暮らしていた。そんな大都市も自然災害や戦争、破壊によって血を流し、いつしか誰も住まない荒地となった。もう、残骸しか残らず人も足を踏み入れない不幸な場所になった。やがて何百年も経って草花が繁茂し、ゆっくりと不幸が浄化されていく。かつての大都市も滅び、しばらく荒地だったが、一輪の花が咲き多くの草木が広がり幸福の地に変わったのだった。不幸もいつまでも続かず、大地はいつも幸福を願っている。世界は自然と幸福になっていく生成発展の法則があったのだった。

「王と妃」

hondayuki 
王と妃 作画・本多裕樹

ただ波間に眠る女を眺め、月の光が我らをつつむ、そこに愛は輝き、黒き衝動もあったが何もすることなくながめているだけであった。眠る姿を見て、王の心は安らうこともあった。それは死なのか、生きているのか。眠りとは短い死でもあるのか。そんな安らいだ顔に聖なるものを感ずるのであった。

「浮世絵1」

hondayuki 
浮世絵1 作画・本多裕樹

雨の中、西洋風の夫人が雨うたれ、もの思う。何か悲しいことがあったのか。それは誰も知らない。あなたの中にある悲しみがあなたの悲しみであり、雨は自分の涙かもしれない。失恋もあろうし、恋もしてもいよう。どちらにしても叶わぬ悲しみにひたる婦人もいるのだった。あなたはどんな涙を流すだろうか。

「少女図1」

hondayuki 
少女図1 作画・本多裕樹

「透明人物世界」

hondayuki 
透明人物世界 作画・本多裕樹

「ブラバツキー夫人」

hondayuki 
ブラバツキー夫人 作画・本多裕樹

「朝の食卓」

hondayuki 
朝の食卓 作画・本多裕樹
  • デッサン集
  • もどる